タロウの思い出

子供の頃、家にタロウと言う白い犬が居た。
父がどこから連れて来たのか、もらって来たのか聞いた事も無いし知りたいとも思わなかったので父が天国に行った今となっては闇の中。
もし、存命だとしても聞けなかっただろうな。タロウに関してはもっと聞きたい事もあるけれど、訳あって聞く事は出来ない。
子犬の頃、家に来たタロウ。家の玄関入ったところにつながれて一晩中鳴いていたのを覚えてる。
「クゥーン、クゥーン、キャンキャンキャンキャン。」の繰り返し。
さみしくて、怖かったのだろう。
家じゅうに響き渡っていたタロウ初日の叫び。
でも、その後は家族に愛されてスクスク育っていった。
犬は外で飼うのが当たり前の時代だった。タロウも庭につながれていた。
たまーに家の中で飼っている家があるとその犬は『お座敷犬(おざしきいぬ)』と呼ばれていた。
そう、お座敷犬はとても珍しい存在。今とは真逆。
一般的なワンちゃんと同じくずっと外に居たタロウは家族の残飯に味噌汁をかけたものを食べていた。
『洗った?』と思えるほど毎回きれいに器をなめつくしていた。
当時からドックフードは有ったと思うけれど、買った事があるのか無いのか。
でもたまにチューインガムと言う名称で売られていた骨を模したものを母か父が買ってタロウに与えていた。
散歩の係は私。たぶん、小学5年か6年生位だったと思う。
中型犬のタロウは小学生の女の子が連れ歩く位の運動量ではとても足りなかっただろうと今になって思う。
もっと駆け回りたかっただろう。
ごめん、タロウ。
ある日から毎晩のようにタロウが脱走するようになった。
朝になったら素知らぬ顔をして庭に座っていたけれど、クサリはしっかり外れていた。
めちゃ簡単なつくりのクサリだから外そうと思えば誰でも(犬でも)外せる。
クサリの一番端がTの字のようになっていてそこをクサリの輪っかのどこかにひっかけるだけの代物。
簡単すぎる。逃げてくださいって言っているようなもの。昭和の時代だからそれで良かったのか。良くはないだろう。
そんな感じで毎朝タロウの顔を見に行くと必ずクサリは外れていた。
母がそんなタロウを心配してなぜか動物病院に連れて行った。笑える。
病院で母がなんというのだろうか興味があったのか付いて行った私。
あのシーン、覚えてる。
母「この子、毎晩どこかに行くんです。でも朝には戻ってるんです。どうしてでしょう?」
笑える。獣医さんからしてもそんな事言われても知らんがな状態だったと思うけど、先生はキチンと答えていた。
「たぶん、彼女が出来てそこに毎晩通っているのでしょう。」
今、考えるとびっくりな答えだけれど、そこは昭和時代。
その答えに納得した母はそのまま私とタロウと共に帰宅。
ああ、何もかもおかしい。
愛すべき昭和時代。
ある日、タロウが3歳の子を噛んだ。
私も母も庭に居た。
母は花壇の手入れをしていた。
近所の3歳の女の子が庭に入って来て、いきなりクサリでつながれていたタロウの元へ。
びっくりしたのだと思う。・・・タロウにガブっと顔をやられてしまった。
女の子の泣き叫ぶ声と花壇から走って来る母。レースのカーテンに付いた血しぶき。
女の子は病院で顔を何針か縫った。
なぜか助っ人に登場した近所のおばさんが父の職場に電話を掛けた。
「タロウが〇〇ちゃんにいたずらをして・・・・」
噛んだと言わずにいたずらと言った言葉を覚えている。
あの日の私の記憶はここまで。
車に乗れない母がどうやって病院に連れていったのか救急車を呼んだのか全く覚えていない。
そして次の日。
学校から帰った私はいつものように庭のタロウに会いに行った。
・・・いない。私のタロウがいない。昼間なので脱走したのでは無い。
すぐに母に聞きに行った。「タロウ、どこに行った?」
母はこう言った。「タロウは東京にもらわれて行った。」
東京=とても遠いところ
どんな思いで言ったのか、どんな顔で言ったのか。母もつらかったと思う。
それ以上、何も聞けなかった。
半分位は本当に東京にもらわれて行ったのかも、と言う気持ちもあった。子供だから。
でも残り半分はタロウは殺される場所に連れていかれたのだと言う風にも考えた。
当然後者が正解だけど、子供の私には母の言葉を信じたい気持ちの方が大きかったと思う。
ごめん、タロウ。本当にごめん。
もっと運動をしっかりさせていればイライラする事も無かったでしょう。
きっといつもつながれて鬱積した気持ちのところに知らない子供が走り寄って来たからビックリしたのだと思う。
きっとあの後何度か生まれ変わって今は人間やってるかも知れない。
と思う時がある。
元気かな?
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